アンデスの絶壁がそびえるウルバンバ峡谷の山間、標高約2,280mに位置するマチュピチュ。山裾からはその姿が見られないことから「空中都市」とも呼ばれ、侵略に来たスペイン人にも発見されなかったそうです。文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるものとして、1983年に世界複合遺産に登録されました。
1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見され、400年ぶりに眠りから覚めたと言われます。マチュピチュは1450年頃皇帝パチャクティによって建設されたと言われ、その約100年後の1572年に廃墟となりました。パチャクティの離宮であった、宗教的な意味合いでこの場所が選ばれた、など様々な説が出ています。マチュピチュは東西が断崖であるため太陽の動きを知るのに絶好の場所であったことや、インカ帝国では太陽を崇拝し、皇帝は太陽神の子として崇められ、暦を司っていたことから、インカ人が崇めていた太陽を観測するための建物群なのではないかとも推測されています。しかし、詳しいことはいまだに謎に包まれています。
マチュピチュの総面積は5km2で、その半分を段々畑が占めています。わずかな高低差を利用して集めた水を居住区にいきわたらせる治水技術にも優れていました。主な注目ポイントは、「インティワタナ」と呼ばれる日時計や、不審者や段々畑で働く人を見張る「見張り小屋」、夏至と冬至に光が差し込む曲線が美しいデザインの「太陽の神殿」、太陽の神殿の下にある王族のミイラを安置したと言われる「陵墓」、マチュピチュの遺跡の背後にそびえる、マチュピチュを眼下に望むことができる山「ワイナピチュ」などがある。段々畑では町に住む人々のためのジャガイモやトウモロコシを作っていて、マチュピチュは自給自足の暮らしをしていたと言われています。
文字や物資を運ぶ車輪がない時代に、どのようにこの遺跡は建設されたのか。この遺跡の持つ意味は何なのか。など、疑問は尽きませんが、世界遺産ランキングで常に1位に選ばれる人類の遺産を、ぜひご自身の目で確かめてみてはいかがでしょうか。
(写真:トリップアドバイザー提供)
マチュピチュの頂上には、インティワタナ(Intihuatana)と呼ばれる石が設置されています。これは。太陽をつなぎ止める石と言う意味で、一種の日時計として使われていたのではと言われています。
(写真:トリップアドバイザー提供)
美しい曲線を描く太陽の神殿には東側の壁が2つ作られていて、左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込む時は夏至と区別できるようになっています。
(写真:トリップアドバイザー提供)
マチュピチュの総面積の約半分を占める段々畑では、ジャガイモやトウモロコシが栽培され自給自足の生活がされていました。段々畑は下に行くほど大きいものになっているのは、畑にまかれた水が上手く排水されるよう設計されたものからです。
(写真:トリップアドバイザー提供)
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